発達障害と私

ADHDと自閉症スペクトラム

どこから説明していいのか…。
自分の発達障害について知ってほしいこと、自分のメモとして記録しておきたいことがたくさんありすぎて、どこから書き出していいのかわかりません。
全然まとまりのない文章になってしまいますが、まずは頭に思いついたことからダラダラと書き連ねていきたいと思います。

<私は軽度の発達障害です>

多くの発達障害の方々と同じように、私も幼い頃から、

自分は周りの友達とはちょっと違ってておかしいんだな

という自覚はありました。でも、私が子供の頃の時代(昭和40年代~50年代)はまだ発達障害という言葉もほとんど世間に知られてなくて、当然私も私の家族も発達障害についての知識は皆無で、私自身、自分が発達障害であるとはわかっていませんでした。

発達障害は知的障害ではありませんので、私は普通に学校に通い、普通に生活を送ってきたつもりです。自分では変わり者だという自覚はありましたが、周りの人を掻き回すほどの重度な症状は見られず(たぶん)、発達障害といっても軽度な方ではないかと思ってます。

ただその中で、周りの友達が普通にやってることが自分には出来なかったり、逆に、周りの友達が出来ないことを簡単に出来てしまったりというちょっと変わったところはありました。
器用不器用とかいう話ではなく、物事の手順が頭の中で整理できなかったり、いつまでも続く同じ動作の繰り返しが苦手だったり、物の捉え方や見え方、聞こえ方が人とちょっと違ってたりすることもあったので、必然的に出来上がるものは独自性がみなぎるものばかりになってました。
が、それは自分が子どもでいる間はまだひとつの個性として受け取られ、特に生活に支障をきたすほどではありませんでした。

支障が出てきたのは大人に近づき社会に出始めるようになってからです。
いわゆる“生きづらさ”というものを社会の中で感じ始めてきたのでした。
教えられたとおりにこなさなければいけなかったり、マニュアルに従うことを絶対とする職場では、自分がそれまで作り上げてきたマニュアルはことごとく否定され、まるで自分の心を殺されているような辛さや窮屈さなどを感じるようになってきたのです。

どんな生きづらさを抱えているのかということをここに書き出すと、それはそれはなかなかの量になってしまうので、それは後々少しずつ書くとします。

<発達障害の検査を受けました>

発達障害について詳しく知るようになったのは、4~5年くらいまえの2016年頃からです。メディアで少しずつ発達障害の事が紹介されるようになってからです。

ネットなどで調べていくうちに、だんだんと自分でも思い当たることが増えてきて、調べ始めてから2年後にはもう「自分は発達障害なんだろうな」という確信に変わっていました。

そして今から7ヶ月前の2020年8月、発達障害を専門に扱うクリニックで発達障害についての診察と検査を受けたところ、

ADHDと自閉症スペクトラム

であるとの診断を受けました。

この診察結果については特に今さら驚くこともなく、「やっぱりそうだったか」という安心した気持ちの方が強く、こうしてはっきりわかったことで幼い頃から抱えてきた周囲との違和感、社会に出てからの生きづらさの理由がわかったので本当に良かったという感じです。

そして同時に、自分が発達障害であるとわかったのならば、そこを踏まえて生活を工夫していけばいいわけですし、これまでの生きづらさへの改善にも繋がるので、この結果を受けたことは本当に良かったと思っています。

<ADHD(注意欠陥・多動性)>

ADHDや自閉症スペクトラムと一口に言っても、人によってそのレベルや現れる特徴は様々なようです。

私はADHDでも、忘れ物はほとんどしないタイプで注意欠陥のレベルは低いようです。その代わり異常なくらいのメモ魔です。メモを駆使することによって忘れ物を回避できてるのかもしれません。

多動性についてはわりと強く、小学生の頃に教室からフラッと出ていってしまうようなことこそありませんでしたが、心の奥底にはその気持ちはあり、行動に出る前に自分で抑えることが出来るというレベルです。多動性が無いのではなく、抑えられるレベルということです。
学校の帰り道はなるべくいつもと違う道を通りたがるタイプで、常にワクワクを探してる傾向は今でも変わりません。

そして一度夢中になって始めたことに対しては驚異的なこだわりと集中力を発揮して、それが過集中となり、2~3日寝食をおろそかにして没頭してしまう事が今でもしょっちゅうあります。
そのために生活リズムはいつもバラバラで、むしろそういう自由な生活リズムの方が生きている実感を味わえてしまう傾向さえあります。
なるべく規則正しい生活リズムを送ったほうが健康のためにも良いことは頭ではわかっていて、なるべくそうするように努力はしているのですが、上記の理由もあり、同じ生活リズムを3日と続けることが出来ません。

頭の中では常に色んなジャンルの思考が同時に渦巻いてるので、新しい出来事や情報が入ってきても頭の中だけでは整理しきれません。
必要なものはすぐに紙に書き出す、メモを取る、パソコンやスマホに記録する、写真に撮る…などをしないと生活に支障が出ます。
検査の結果、数字に関しては耳から聞いた数字を頭の中に留めておくことが出来ないこともわかりました。

頭の中だけで物事を整理することが苦手なので、無意識に、目に映る視覚に頼ってる面はあります。頭の中で整理する代わりに、たとえば書類ならクリアファイルで内容ごとに細かく分類したり箱で分けたり並び替えたり付箋を貼ったり…と、目で見える形で整理するのです。
書類、文具、本、パソコン画面、パソコン内のフォルダ、エクセルの内容などは「几帳面」「マメ」と言われるほど整理されています。几帳面だから整理しているのではなく、目に映るものを整理しなければさらにわけがわからなくなってしまうからです。私の部屋の中は一人暮らしの男にしてはかなり整理整頓されてる方だと思います。机の上にもなるべく物を置かないようにしています。少しでもごちゃごちゃしてると、それだけで物が考えられなくなるからです。

時間を守ることや人との待ち合わせも苦手で、ほとんど時間通りにこなせません。待ち合わせで時間通りに着くことは稀です。
漫画の連載をしていた頃は、締め切りを遅らす常習者でした。
時間の管理が下手で、常に時間に追われていて「時間がない、時間がない」と言ってるタイプです。世間の人がよく口にする「暇ですることがない」という意味が私には理解出来ません。

<ASD(自閉症スペクトラム)>

自分では、ADHDよりも自閉症スペクトラムの方が強いような気がしています。

自閉症といってもやはりこれも人それぞれのようで、世間からのイメージとしては、人見知りや無口、癇癪持ちなどがあるようですが、実際には弁論大会に出るほどの多弁な自閉症の方がいたり、接客業をされている方もいるようです。

そして私の場合は、自分で言うのもなんですが、コミュニケーション能力が高く、ほとんどイライラすることないという変な自閉症スペクトラムだったりします。

<作業ごとに人格が変わる>

クリニックの先生に言われたのですが、私には無意識に人格が変わる症状があるそうです。
これは自閉症スペクトラムの人にはよくみられるそうでして、作業ごとに細かく人格が変わっているそうなのです。

こういう人は、食事を作ってる時、ご飯を食べてる時、歯を磨いてる時など、その作業ごとに非常に細かく人格が変わるのだそうです。

その流れで、私がコミュニケーション能力が高いというのも、そういう人格に切り替わってる時だけです。必要だと感じた時に“コミュニケーション能力の高い人を演じてる人格”が無意識に出てきます。
子どもの頃からの元々の性格は、とても人見知りで、通信簿にはいつもおとなしすぎるおとなしすぎると書かれていました。

小さい頃は「緘黙症(かんもくしょう)」という症状があり、幼稚園を卒園するまで一言も声を出さなかったのを覚えています。
家でもほとんど喋らなかったので、父親は私のことを“唖(おし:口がきけない子”だと思ってたとのことです。

「イライラした時やもやもやした時はとりあえず寝ちゃえば気持ちを切り替えられる」という人がいますが、私もそのタイプです。
寝て起きた時に人格が切り替わってるからです。

うつ病のようになる人格もあり、その時は一人喋りも始まって吃音症が出るのですが、一度ぐっすり寝ると、まるで霧が晴れたようにうつ状態が消え吃音も消えています。

<役が抜けない>

そしてこの「変わる人格」は絵を描く仕事にも影響してしまっています。
描く絵のジャンルによって人格が変わっているようなのです。

漫画を描く人格、水彩画を描く人格、イラストを描く人格、それぞれが違います。
そして、この人格に切り替わらなければそれぞれの絵が描けません。

役者さんでいうところの「役に入りきれないと演技ができない」というのに似ているのではないかと思ってます。
ある一定のクオリティまでなら体に染み付いたテクニックやノウハウだけでもそれなりの絵が描けるのですが、商品としてお金をいただく絵となると、そこからさらにもうひとつ上のランクの、“魂を込めた絵”を描く必要があります。
そんな時に、人格がそのジャンルのモードになってないといつまで経っても三流のアマチュアレベルの絵しか描けなかったり、その前に手が動かないという不思議な現象が起きます。

それからもうひとつ、
逆に「役が抜けない」という現象も起きます。

これは役者さんが役に入り込みすぎて、仕事が終わったあとでも本来の自分に気持ちが戻らないという状態なのですが、絵を描いていても同じようなことが起きます。

私の場合、水彩画を描いた直後はすぐにイラストが描けませんし、逆にイラストを描いたあとはすぐに水彩画が描けません。ご飯すら作れずにただずっと絵のことばかりが頭から離れず考えてしまって数時間経ってしまうこともあります。

また、水彩画を描いている最中に、ふいに掛かってきた電話に出たり、突然訪ねてくるセールスマンに対応したりすると、人格が「人と会う時用の社交的な人格」に勝手に切り替わったまま元に戻らず、それで絵が描けなくなってしまう時があります。
そういう時は仕方がないので無理やり一度睡眠を取ります。そうすることによって「人と会う時用の社交的な人格」を頭から抜いて人格をリセット出来るのです。
これくらい人格が細かく切り替わっています。

<ショップを休止している理由>

私は絵を描く仕事以外にも、ネットショップを運営しています。
ダックスフンドのイラスト使った名入れステッカー制作と販売がメインで、その他に、愛犬の水彩画オーダーメイドなども行っているわけですが、2020年9月より新規のご注文受付は休止させてもらっています。

ご注文をたくさん頂きすぎて自分の作業能力のキャパを超えてしまったのが休止の理由なのですが、実はもう一つの原因がこの「変わる人格」だったのです。

ステッカーや水彩画、オリジナルイラストグッズの制作など、商品コンテンツを増やしたことにより、おかげさまでたくさんのご注文をいただけるようにはなったのですが、実はこれが逆に自分の首を締めることになってしまったのです。

たとえば、一日のうちにステッカーと水彩画を同時に制作することが私には出来なかったのです。ステッカーを作る人格と水彩画を作る人格の切り替えは自分では自由にコントロール出来ないので、最悪の場合、一日のうちに出来る作業は一つのジャンルだけ、ということがだんだんわかってきました。

そしてさらに、水彩画の人格が出てこなくなってきたのです。
出てこなくなった理由はある程度わかってます。
現在毎日SNSに配信している「今日は何の日」のイラストが原因だと思っています。

さきほども書きましたが、この「今日は何の日」のイラストを描くと、そのあとはほぼ寝るまで「イラスト用の人格」が抜けないのです。

技術的にもイラストと水彩画はまったく別物の作業です。使う道具はもちろん、色の塗り方や配色のセンス、構図の取り方、指先の感触など、全く違う気配りとテクニックが使われます。どちらも真剣勝負です。

イラストを描けばその日はもう他の絵は描けなくて、水彩画を描けばその日はもうイラストは描けなくなるという情けない状態に今はなってます。

そんなわけでオーダーメイドものは只今、完成日のお約束が出来ないと判断して新規受付を休止させてもらっています。

なんか取ってつけたような変な理由ですが、これが発達障害の人間の面倒くさい生き方、生きづらさの真実なのです。

だからといって発達障害であることを、世間様から甘く見てもらうための言い訳にしたり、免罪符みたいな使い方をしたいとは思ってません。
変な話や妄想に聞こえるかもしれませんが、こういうことで悩んでる発達障害の人たちは本当に多いと思います。

まだまだ今の世の中では発達障害に対しての理解が低く、私も何度か偏見に満ちた言葉を掛けられて傷ついたこともあります。
つい数年前までは、うつ病だって「怠け病だ。根性が足りないだけだ」とか言われてたわけですし、今の社会が発達障害への理解を本当に深めるのも、私はまだあと20年くらいはかかると思っています。

当の私自身、自分の生きづらさがどこまで発達障害によるものなのか、どこまでが単に自分の性格やだらしなさによるものなのか、まだまだでわかってない部分ばかりです。

自分が経験してきたことや自分なりに分析してわかってきたことなどを、今少しずつメモしてますので、時々ここでもまとめて書いていこうかと思ってます。

今日4月2日は、世界自閉症啓発デー。

いい機会なので自分の発達障害について、大まかですが少しだけまとめてみました。

長文読んでいただきありがとうございました。
(言いたいことを短く端的にまとめられないのも発達障害あるあるですね)

アポロパパ

 

プロフィール

作家活動の略歴はこちらのページにまとめてあります。